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母を訪ねて三千里アニメ

母を訪ねて三千里も、フランダースの犬に続いて泣けるアニメだったと思う。 あらすじマルコのお母さんは、貧しい人たちの病院を経営するお父さんを経済的に助けようと、イタリアからアルゼンチンへと出稼ぎに行きました。 一年後、病気になったという手紙が...
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 泣けるアニメ フランダースの犬

フランダースの貧しい少年ネロは、村人たちから迫害を受けながらもルーベンスの絵に憧れ、老犬パトラシエを友として一心に絵を描きつづける。 しかし、クリスマスの朝アントワープの大伽藍に見いだされたものは、この不幸な天才少年と愛犬との相いだいた亡骸...
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幸せの黄色いハンカチ邦画

幸せの黄色いハンカチは、1077年昭和52年)公開された、山田洋次監督による日本映画。まさに昭和。サッポロビール。カツ丼。醬油ラーメン。マツダファミリア。高倉健の名言男は不器用。ラジオから流れるフォークソング。 いいですね~ URL↓
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昔あったグランドオリオン映画館

中学生の頃よく映画見に行っていた牧志のグランドオリオン懐かしいですね。 ランボー、はだしのゲン、いろいろ当時は2本立て3本立て当たり前の時代、良い娯楽場所だったな~昔の映画館は最高でした。一回の料金払えば最後までいられた、この時代ホットドッ...
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沖縄バヤリース

沖縄バヤリースは、戦後6年が経過した1951年頃。 沖縄バヤリースオレンジは、現在、245gと350gの缶以外に、500mlのペットボトル1.5lのペットボトルの4種類が発売され、70年以上、沖縄県民の味として親しまれています。 沖縄でしか...
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昔懐かしい沖縄海洋博覧会

沖縄海洋博覧会は、沖縄返還、沖縄県の日本本土復帰記念事業として沖縄県国頭郡本部町で183日間の会期、1975年(昭和50年)7月20日 - 1976年(昭和51年)1月18日をもって行われました。 展示施設の中でも最大の目玉とされたのが、未...
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沖縄那覇タワーの記憶

幼少期、母とオムライス食べた記憶があります。 360度見渡せるレストラン。 回転展望レストラン。 当時の沖縄では回転するレストランはめずらしかったです。 友達に自慢した記憶があります。 那覇タワーは、かつて沖縄県那覇市牧志に建っていた塔です...
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沖縄昔あった与那原テック

与那原テックは遊園地と呼ばれるものがなかった沖縄であったが、全長250〜300メートルほどのジェットコースターを始め、メリーゴーラウンド、観覧車、お化け屋敷、ゴーカート、ケーブルカーなどがありました。 またプールが広くてウォータースライダー...
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沖縄730をご紹介します。

戦後の沖縄は、アメリカ軍の統治下にあった事もあり、アメリカ文化が県民の生活へ浸透しており、自動車の対面交通もその影響をうけ右側通行でした。 1972年沖縄が本土復帰後も「沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律」による規定の下で右側通行が続いて...
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沖縄 ドルが使われた時代

戦後、米国統治下の沖縄で、米国ドルが唯一の法定通貨として流通した時代。1958年9月、これまでのB円から米国ドルに替わり、72年5月15日の本土復帰の日までドルが使われた。 1958年9月16日 B円からドルへ法定通貨の切替え。この日、沖縄...